週刊チャオ、まだあります

かつてチャオBBSにいた全ての人たちへ、ぼくたちはまだ"週刊チャオ"にいます。

週チャオの「哲学」

毎度どうも。ほっぷすたあです。

今回は、私が編集長をやっていた頃、どういう考え方で週チャオを運営していたか、というお話です。
正直、このテーマだと話が広げづらい上に分かりにくいので記事にしにくいのでは、と思っていましたが、
リクエストがあったのと、「とりあえず書いてみなけりゃわからんだろう」と思い直したので、少し書いてみます。


目次

そもそもの方針

2002年3月に週チャオが復刊する、となった時に、当然さぁどうやって週チャオを運営しようか、ということになるのですが、
この時私は、大枠では初代編集長のナルさんの打ち出した方針を受け継ぐことを決めました。

何故か、と問われるとちょっと答えに詰まるのですが、結論としては、
「週チャオとは、そういうものだから」
(厳密には、そういうものだと『思っていた』から?)ということになると思います。

冷静に考えてみると、当時『前例』はそれしかなかった訳ですし、何より当時の私は第1期のメンバーに影響を受けまくっていましたので、こうなるのはある意味当然のことでした。

では、その『第2期で私が引き継いだ、ナルさんの方針』とはいったい何でしょうか。それを説明していきます。

非強制が唯一の強制

さて、話はいきなり、週チャオが一番最初に創刊した、1999年1月末に遡ります。
当時は私もチャオBにいた訳ではなく、伝聞の伝聞ぐらいで聞いた話なのではありますが、この時、初代編集長のナルさんを中心に、『週チャオの大原則』として、あるルールが決められました。

『強制はしない。それが、唯一の絶対』

もちろん、現実問題として、当時の旧チャオBであった様々な制約やメンバーの動向に際して、いくつかのルールが決められましたが、大枠ではこの大原則のもとに動くことになりました。


時は流れて、私が編集長となって週チャオが復刊する際にも、絶対にこれを大原則にしよう、と決めました。
(少しだけ言い回しを変えて、『非強制が唯一の強制』という言葉にしました)

なので、「小説は週チャオに載せましょう」ということは私は絶対に言いませんでした(あくまでも載せるかどうかは作者の自由)し、
さすがに荒らしは困りますが、ちょっと書き込む場所を間違えたぐらいで怒ることは、私は絶対にしませんでした。

今ですからぶっちゃけますと、旧チャオB時代からお世話になっていたとある先輩に「非強制に拘り過ぎているのでは」と注意されたこともあります。
それでも、当時の私は若くて頑固だったので、これを曲げることだけは絶対にしたくありませんでした。

愛で溢れる素敵な場所

では、『この非強制の大原則』は、そもそもどうして生まれたのでしょうか?
ここには、当時の旧チャオBの状況と、初代編集長のナルさんの考え方が強く反映されています。

当時の旧チャオBは、過去ログが20ページ分しか残らず、それを過ぎると古いページから何も残らず消えてしまう仕様でした。
また、当時はPCの普及率が低く、大半の人がドリームキャストを通じてチャオBに参加していたので、ログを保存する人もほとんどいませんでした。

このような状況のため、小説が投稿される度に過去ログがどんどん流れて、有用な過去ログがすぐに消えてしまうという大問題が存在していたのです。
また、これも伝聞の伝聞でしかないのですが、週チャオが創刊する少し前のチャオBは流れが早く、荒らしもいるなどして、雰囲気もあまり良くなかったと聞いています。

当然、有用なログを埋もれさせないためにたくさんあった小説をどうするか、という議論になっていましたが、その中でナルさんはこういう風に考えていました。

『チャオBを、愛で溢れる素敵な場所にしたい』

そんな状況とナルさんの考えから生まれたのが、最初の週チャオであり、また『非強制の大原則』だったのです。


やはり時は流れて、私が編集長として週チャオを運営する際にも、この考え方を自分なりに引き継ぎました。
『チャオBを愛で溢れた素敵な場所にする為には、どうすればいい?』
迷った時は、いつもこれを頭の中で自問自答して、答えを出していました。

全てはチャオBのために

先ほども触れたように、週チャオの根本にあるのは、
「チャオBを愛で溢れた素敵な場所にするために」
という、初代編集長・ナルさんの考え方でした。

『週チャオのため』ではなく、『チャオBのため』
混同してしまいがちですが、これは明らかに別であり、分けて考えなければいけませんでした。
(特に、小説以外の書き込みが減っていく後期~末期になると、この区分けがどんどん曖昧になっていってしまい、判断が非常に難しくなってしまいます)

チャオ小説の作者さんや読者さんはもちろんのこと、チャオ小説を全く書かない人や読まない人にとっても週チャオは有益なものでなければ、結局ただの自己満足で終わってしまいますし、議論や対立の原因となってしまいます。

元々自分が復刊させたから、というのもありますが、自分が編集長をやっていた時は、
『週チャオがチャオBの為にならないと判断したその時は、いつでもすぐに週チャオを終わらせる』
という覚悟でやっていました。
(結局、私が編集長をやっている間に、『その時』は訪れませんでしたが)

反省

さて、こんな感じで運営していた(つもりの)週チャオですが、今から考えると、反省点ももちろんあります。

1つは、先ほども少し触れましたが、『非強制の大原則に拘り過ぎたのではないか?』ということ。

週チャオの復刊以降も、チャオBでは小説について何度か議論があったと記憶していますが、
私がこの大原則で対応しすぎてしまったため、余計に話をややこしくしてしまった節があります。

もう1つは、ここまで書いてきた「週チャオの哲学」を、他のメンバーにほとんど伝えていなかったこと。

実際、私は2003年末に事情があって突然チャオBからいなくなってしまいます。
その後週チャオがどのように運営されていたのか私は詳しくは知りませんが、この辺りを事前にみんなにちゃんと伝えていればよかったな、と今になると思います。

おわりに。

…と、ここまで長々と書いてきましたが、いかがだったでしょうか。
結局古い時代の話ばっかりで、難しい上によく分からないものになってしまった気がします。

まぁ、この辺りのお話が書けるのは正直もう私しかいないので、
興味のない人は読み飛ばしてもらって構いませんので、「そういう考え方でやっていたんだ」ということがなんとなく伝わればいいな、と思っています。