週刊チャオ、まだあります

かつてチャオBBSにいた全ての人たちへ、ぼくたちはまだ"週刊チャオ"にいます。

チャオと小説と黒歴史(1)

 中学生の時、ふとチャオ幼稚園の掲示板にチャオBBSのアドレスが書かれているのを見つけた。ちょうど友達とソニックをやっていて、

「なあ、これゲームキューブから見れるのかな?」

「分からん」

 みたいな田舎の坊主らしい、馬鹿な会話をしていたことを覚えている。

 

 あくる日の夜、どうしてもチャオ育成で分からないことが有った僕は、父親が使っていたPCを借りた。アドレスを一文字ずつ、ゲーム画面を何度も見ながら人差し指で入力していった。

 そして、最後にEnterキーを押した瞬間、待ち望んでいたチャオBBSの画面がモニタにバン!――とは映し出されず、404 NOT FOUNDの文字が僕をあざ笑った。

  

 ま、最初は誰でもこんなものだ。

 

 結局、僕がチャオBBS――今となっては馴染み深いあの画面を見ることになったのは、三度目のチャレンジのときだった。

 

「やった、早速質問しよう!これで疑問も解決だ!」

 

 最初は、その程度だった。

 単純に分からないことを質問して、答えを知れば、もう来ない予定だった。

 

 けれど、まさかそれ以来、四年にもわたって通い詰めることになるとは、人生何に嵌るか分かったモノじゃない。

 

 あまつさえ、小説を書こうだなんて――。

 

 さて、そんな頭の緩い僕も、今年で二七歳になる。しがないシステムエンジニアとして早五年社会で揉まれてきた。先述のチャオBBSとの出会いを振り返ると、よくこの業界に就職できたな、と思うくらいだけれど、人間とは成長するものだ。

 

 まあ、それでも、現状を言ってしまえば、僕は、そんな注目すべき点も無い凡庸なサラリーマンだ。有名人のように自叙伝を自費出版したとして、誰も見向きもしないし、取り扱ってくれるお店も無いだろう。

 

 けれど、これでもチャオBBSでは色々やらかしてきた。

 

 こうやって、存分に自分語りができる場所を与えられたのだ。

 たまには自分を顧みつつ、己の愚かな黒歴史と、そこで気づいたいくつかのことを語り倒してみようと思う。

 

 

 これまで僕は色んなことに挑戦してきて、挫折しては、諦めて、捨てて、身軽になったり、重荷を背負ったりしてここまで歩いてきた。

 僕は完ぺき主義だ。

 もちろん、誉め言葉ではない。〈飽きて向上する見込みが立たなくなったら、辞める〉という、よくある努力のできないクズの典型的なパターンに、僕も該当する。

 同時に、僕は嫉妬人間だ。

 誰かが近くでうまいことやっているのを見ると〈俺なら、もっとうまくやれる〉と同じことを始めるきらいがあった。

 もちろん、僕は自分が思うほどすごい奴では無い。数か月もすれば途端に馬脚を現して、僕には才能が無かった、なんて勝手に一人で挫折していた。

 

 ところが、そんな僕にも、もうじき10年選手になろうかという趣味が二つある。

 

 一つは、ドラムを叩くこと。

 

 もう一つは、小説を書くことだ。

 

 ドラムは、まあ、今回の話には関係がないので割愛するとして、小説はもう、チャオBBS無しには語ることはできない。何せ、僕が小説を始めたきっかけは、BBS上に展開されていた〈週刊チャオ〉に出会ったことだ。

 今となっては休刊してしまったが、当時(2004年)の〈週刊チャオ〉は活気に満ち溢れていた。僕と同年代かな、と思う人たちが、毎週欠かさずビュンビュンと自分の書いた小説をアップしていた。そして、それに対する感想も飛び交っていた。スレッド分けするくらい、沢山の人が彼らの小説に〈面白かった〉〈次が待ち遠しい〉という表裏の無い言葉を書き手に送っていたことを僕は今でも鮮明に覚えている。

 

「いいなあ」

 

 僕は口にはその程度しか出していなかったのかもしれない。が、本心は全く違っていた。

 

(こいつら程度の文章でこんだけ褒められるなら、僕ならもっと感想貰えるやろ)

 

 僕はクソガキだった。確か、この頃、つい一か月前くらいに、友達と卓球サークルに入って、友達がメキメキ上達する一方で、僕は全くついて行けずに辞めた。そんな奴の考えることだとはとても思えないだろう? 今なら、僕もあなたに賛同できる。これもある意味、黒歴史の一端なのかもしれない。

 というわけで、早速投稿するために書いたことも無い小説を書き始めた。もちろん、周りの大したことない奴がやっているように、自分も連載物を書くことにした。当時の僕は、何故か自分が人を笑わせるのが上手いと思っていたので、ギャグを書くことにした。連載+ギャグ。絶対に感想が付く。僕は本気でそう思っていた。

 

 そして、僕がこの世で初めて公衆に小説を晒した。

 

 〈八方チャオ〉

 

 もはや、タイトルしか覚えていない。内容がどんな風だったか、どういうキャラが何をして、どういう方向へ向かうつもりだったのか、今となっては記憶の彼方だ。何故なら、僕の、その連載物に対する興味は瞬く間に失せてしまったからだ。

 

 感想ゼロ。

 

 あれだけちょろい奴らだと思っていたチャオBBSの読者が、僕に出した答えはそれだった。僕はきっと狼狽えていたと思う。ブックマークに追加したチャオBBSを、最早質問の有無抜きにして通いつめ、毎日、ある日は朝と夜にそれぞれ、自分の開いた感想スレッドを覗き込んだ。

 

 感想ゼロ。

 

(……発想が悪かったんだ)

 

 僕は短絡的に、そう考えた。なら、もっと漫画っぽく、トーナメント形式でチャオを戦わせてやればいい、そうすればここのBBSのガキどもも見てくれるだろう。僕は未だ、己の膨らみ過ぎた自尊心を失っていなかった。

 

〈悪魔攻略戦線〉

 

 二作目のタイトル。これも、ダサさ際立つタイトル以外、内容は覚えてなどいない。三作目からしばらくは、もう何を書いたかも覚えていない。もちろん、僕の自分語りをここまで追ってくれた方はお分かりの通り、その後もしばらく、僕の書いた小説に対しては感想ゼロが続いた。

 いや、一作ごとにたまには一件くらい、感想はあったかもしれない。でも、それは僕のカウントには入らなかった。我儘な子だろう? けれど、仕方なかった。何せ、僕の前後では瞬く間に感想をたくさんもらって、〈これからも応援よろしく!〉なんて意気揚々と、かつて僕が見下した作家さんたちが返答をしている様を、僕はまざまざと見せられていたのだから。

 

(もしかして、僕の小説は面白くない?)

 

 ここでようやく、自分が悪いと気づきだした。でも、だからと言って、何が悪いかは分からなかった。発想?キャラ?ストーリー?書き方?どれをとっても、当時の自分は最善を尽くしていたと思っていたから、尚更、途方に暮れた。

 僕の悪い虫が囁きだした。〈才能が無いんだから、止めてしまえばいい〉そうする理由はいくらでもあった。あれだけ舐めていた相手に、意図しているかはともかくそっぽを向かれて、それ以上、何をすることもできない。僕なら、過去の僕なら、チャオBBSをブックマークから外して、無かったことにしてもおかしくなかった。

 

 ――ここまで、話を引っ張ってきて何だが、今でも、どうして僕が小説を書くのを止めなかったのか、正確には分からない。

 

 でも、ヒントはある。先ほど話すことは無いと言っていたドラムだ。これも、ライブ等で散々周りに技術を見せつけられ、半ば心が折れかけていた。結果は言うまでも無く、その後も中断期間挟んで、昨日もバシバシ叩いてきた。どうして続けられたのだろう? と問われれば、答えは一つしかない。

 

 楽しいからだ。

 

 だから、きっと、その頃の僕も、感想の来ない現実に打ちひしがれながらも――書くことが楽しかったのだと思う。

 

 その後、たまに、チャオBBSではチャオ関連の質問に応えつつ、15~20作くらい書いていって、僕もだんだんと、自分の趣向が理解でき始めていた。数でお分かりの通り、僕は連載を捨てた。これはもう自分の飽き性と折り合いがつかなかった。(※余談だが、その後も何度か連載をしようとして挫折している)

 同時に、ドラムと言う趣味でお分かりの通り、僕は音楽を聴くのが好きだったから、これと連携取れないかと考えていた。単純にぽえみーな小説を書くというよりは、歌詞の流れに沿って、チャオらしい小説を書こうと。そうして、当時テレビでリバイバルヒットした某デュオのヒット曲にちなんで、読み切り小説を起こした。

 

〈チャオとヒコーキ曇り空わって〉

 

 曲通りの爽やかな印象を崩さないように、同時にチャオらしくあるように、文章を紡いでいった。そして、これがまた楽しかったのだ。よく覚えている。PCで音楽鳴らしながら、物語を紡いでいった。

 そして、執筆中のそんな感情は、正しく文字に現れたのかもしれない。待ち望んでいた感想が来た。

 

 しかも、三件もだ。

 

 嬉しかった。飛び跳ねるほど嬉しかった。

 

 この物語は、最初の〈八方チャオ〉から、数えて25作目、週刊チャオとしては115号→168号だから、おおよそ53週、何と一年以上も後のことだ。

 あれだけ飽き性で、嫉妬深い僕が、捨てることなく小説を一年以上書き続けていた。この事実は、本当に、自分の人生の糧になったと思う。

 ここで、僕の作風の一つがはっきりと固まった。〈歌詞のような物語〉だ。

 先ほどはぽえみーではなく、と言ったが、実際は、これ以降はぽえみーな小説が続く。と言うより、今も趣味で書いたものは、大抵、ぽえみーな説明が挟まってくる。それだけ、良く言えば、この成功体験が大きかったし、悪く言えば手癖のように残ってしまったともいえるのかもしれない。

 

 ここまでのエピソードに限定して総括すれば、僕はこの小説を書いた日々を黒歴史とは言う気は無い。

 黒歴史が、何故生まれるのかと言ったら、その幼い誰かが、自分の憧れるものに対して、右往左往のアプローチを仕掛けていくからだ。勿論それは時折、人に馬鹿にされ、思い出すだけで恥ずかしいことも有るだろう。

  でも、僕個人としては、この時感じた感情――嫉妬、挑戦、挫折、不屈、評価、歓喜といった流れは、それまでの僕になかったものだ。そして、今の僕を無意識の中で支えてくれているものだ。そんな自分自身の歴史を、そう簡単に忘れるべき、恥ずかしいものとは言いたくない。

 

 今、なにか人生で迷っているときは、悪態をつくでもなく、顔を赤らめるでもなく、真剣に自分の行った〈黒歴史〉を振り返ってみてはどうだろうか? 本当に、ただバカだったなあで済ませられることばかりなのだろうか? その中に、決して見過ごせない、就活的自己分析なんかよりももっと本質的な、自分にまつわる何かが見つからないだろうか?

 

 無いとは思わない。きっと、必ず、存在する。 後は、思い出すだけ。思い出せば、きっと、その答えは見つかると思う。良い面も、そして、悪い面も。

 

 僕は、自分自身のチャオBBSでの小説書きを思い出して、案外自分が粘り強いのだと知った。実際、あきらめずに続ければ、何とかなるものだ、と感じた。事実そうだ。だからこそ、ドラムも小説も続いてる、会社生活も何とかなっている。都会の出張暮らしも、その中でも人付き合いも、何とかなっている。

 そして、そこに意図的な努力をしようと言う意識は無くて、単純に、僕はただしがみつき、齧りつき、信用を得て、成果を得た。

 覚悟を決めて、諦めない――。

 なぜそれができるかと言えば、こじつけでも何でもなく、この頃の僕が諦め無かったからだ。無意識の中で、自分の経験がいつか正しい方向に向くと信じているからだ。

 

 ある意味、黒歴史は僕にとってのかけがえのない財産だ。

 

 最近、チャオBBSに書いた小説をロギングしているサイトで、自分の書いた小説の文字数を測ってみた。その数何と、70万字弱! 今、こうした文章を書いていても、何となくサラサラと書けてしまうことがたまにある。これは別に僕に小説の才能があるというよりは、この頃の惰性交じりの努力の成果に他ならないのだろう。

 黒歴史と言われたときから続いた、連綿とした文章量の経験。これが僕の黒歴史をサルベージする中で知った、自分の中の〈良い部分〉の総決算なのだ。この努力と結果は、これ以降も大切にしていきたいな、とそう考えている。

 

 ――ただ、もちろん、〈悪い部分〉をまざまざを映し出すのも、黒歴史黒歴史と呼ばれる所以だとも、僕は知っている。

 

 だから、これ以降の、あまり人に語るつもりの無かった〈恥ずかしい〉小説ばかり書いていた時期を紹介していきたいと思う。僕の中にいる〈調子に乗ると止まらない悪い虫〉が触角を出してくるようになった、そして、それはそのまま、僕の確固たる〈黒歴史〉を作り出していったこと。

 

 できれば、思い出したくもない。でも、もう言ってしまおう。

 

 僕の悪い作風〈行き過ぎた歌詞偏重〉、〈上から目線〉、そして〈何としても人とは違う、奇をてらうだけのストーリー〉について。……まあ、もう、見出しだけでも暗雲漂うのはお察しだ。けれど、これを読んだ方の戒めになるように、次回以降、数回に分けてじっくりと語っていきたいと思う。

 

 (2)へ続く